おはようございます。本日のデイリーメッセージは、ひのみやまこがお届けします。
お盆休み明けの方多いのでしょうか?
お墓参りができなかったり、帰省できなかったり。
去年も今年も、いつもと違うこの時期の過ごし方をしている人が多いのでしょうか。
雨続きで災害に不安になりながら過ごされていた方もいらっしゃるのでは?
びっくりするくらい、気温が下がっていたり。
私は、ほぼロシアみたいな気候で育ったので、あんな感じの夏を何度も体験しているのですが。
学生時代に、夏に礼文島に行き、ユースホステルに泊まった時、うぐいすが鳴いていたのが印象的でした。
8月なのに。
ちょうど、昨日の東京のような雨降りで気温も下がり。
残暑という言葉があてまはるような時期に入っていきますが、今年はどのように秋を迎えていくのでしょうか。
各自、無事に安心してくらせるような日がくることを切に願います。
さてさて!ココさんのお茶会、次の日曜ですよ!!
私は昨年、お手伝いとして参加させていただきましたが、とても楽しそうな会な上に
実践力がつきそうなお茶会だなと思いました。かつ、発言しやすい雰囲気でもあり。
迷っている方は、えいやー!って飛び込むのがおすすめ。
多分、それがベストです!
そして夏の占まつりも。
ノベルティ、めっちゃ可愛いですよね。いろんな占術を知りたい方にはお手頃価格で鑑定を受けられるのでおすすめです!
8月31日まで。気になることを気になる先生に観てもらえる貴重なチャンス。
鑑定の先生方も日々、成長しているので、以前受けた時は違うものを得られるのではないかと思います。
そして、今しかもらえない言葉も。
本日の星とタロット
太陽は獅子座23度
サビアンシンボルは「身だしなみの整っていない男」
獅子座の第5グループを移動中です。
第5グループはそのサインの最も勢いがある時期。
獅子座の場合は「ありあまる活力を乗りこなして超越性を獲得する」
です。
(松村潔著 愛蔵版サビアン占星術)
この1つ前の第4グループでは、水瓶座の影響を受け、自分というものと他者というものの中で、自分の主張をどう表すかについて学んでいた獅子座でした。
それを乗り越えた獅子座は、以前の獅子座とは違います。
人を巻き込むことを覚えた獅子座は、みんなを巻き込んで楽しいことに飛び込んでいきます。
ただ、獅子座の段階では、まだまだ、個人の発達段階なので、社会全体を動かすというよりかは、その人を中心に周りを巻き込んでいくという感じでしょうか。
人の目を気にせずに、自分を開放していく。
トランス=変性意識状態というものがありますが、そういうものも利用して、自分の枠を飛び越えようとする。
「第5グループは、最初はドラッグに熱中し、そして、最後にはドラッグに頼らずとも求道的な道に踏み出すみたいな」
感じだそうです。
あんまり知ったかしてはいけないと思うのですが、仏教の修行ってこれに近いのかなーって思ったりします。
特に密教系。厳しい修行は、トランス状態へ入るためのものでもあり。
その状態に入った人は神秘的な体験をします。神仏と接触するような、この世の真理にふれるような。
おかざき真里さんの「阿・吽」という漫画があるのですが(私の知識は漫画から)。
最澄と空海のお話なんですね。
日本密教界の2大巨頭。
密教というものに触れることは普段、あまりないと思うのですが。
梵字・護摩焚き等々、不思議な世界でもあります。
あの中で、唐に行った空海は、トランス状態で、曼荼羅の世界を理解します。
曼荼羅って、私達が見るのは平面で、大きな丸の中に大日如来がいて、その周りの小さい丸の中に沢山の仏様が鎮座されているというイメージなのですが。あれを立体的に観るのですね。
そのことで、この世の理を知っていく。
本日の「身だしなみの整っていない男」というのは、「一番核心となることに意識を集中して、他のことはすべて無視できるような集中力と持続力を身につける人」を表しています。
「身だしなみ」というのは自我の殻を意味しており、自分の内面に集中しているだけでなく、自我の外にある人智を超えた大きな力を見出している最中とのこと。
私達は、普段、身なりを整えることで、外に対して防衛している面があります。鎧を外すという表現もありますが、そういったものをすべて取り外して自分をさらけ出すことで得られる境地・・・
演劇のワークショップとかでもありますよね・・・役者さんが裸になってすべてをさらけだすとか(今だとモラハラだとか問題になりそうですけど)。
鬼気迫る演技をする俳優さんは、そういったものを乗り越えて、自分というものを超越している印象があります。
自分の殻をやぶるために、限界を突破しようとする。薬の力ではなく、自己の力によって。
今日の太陽はそのような度数を移動しています。
その太陽は4度違いですが、水瓶座の木星と向かい合っています。
一方で月は蠍座を移動しており、水瓶座の木星と摩擦の角度から、乙女座の金星と良好な角度を取った後、射手座へ。
そしてそれを追うように、金星も天秤座へ。
自分というものと社会全体の利益とを考える時。
どろどろとしたものを自分の中に抱えつつも、パッと視界がひらけるような境地を得られそう。
一旦、そのどろどろとしたものを脇において、先の世界に目を向ける。
タロットはカップのキング。
心に余裕をもち、悠然と構える王様です。
人の心も人生の波も。
なんか、最近、そういう気持ちが社会全体で失われていると思います・・・
オリンピックの開会式の音楽家問題とか、メンタリストの問題とか。
もちろん、彼らのしたことは間違いです。それははっきりと言えます。
やっちゃいけないこと。を彼らは「過去に」しました。
けど、それを「未来も」するのでしょうか?
私達は、何度同じことを繰返しているのでしょうか?
彼らがしたことを防げなかった責任は自分にないのでしょうか?
私は、割と正論が嫌いです。
えぇー。いつもTwitterで偉そうに言ってるのに。
と思ってくださった方。いつもありがとうございます。まいどー。
じゃなくて。
正論は正論で必要でしょう。社会生活を生きるための気遣いとして。
ただし、それは絶対ではありません。
正義の概念は時代によって変わるのです。
刑法にはかつて尊属殺という規定がありました。
親殺しですね。
これは普通の殺人よりも罰が重いものでした。
しかし今は削除されています。
なぜ削除されたのか?
実際の事件があり、その尊属殺を適用しようとした時に、上告審で違憲を訴えたのですね。尊属殺というのは、大日本帝国憲法下で規定されたものでした。つまり、その当時は人権という概念が希薄だった。なので子は親の言いなりになるし、親の命の方が子よりも大切とみなされていたのです。
けれど、日本国憲法が公布され、その規定は時代に合わないものになりました。親の命もこの命も平等であり、親を殺そうが、他人を殺そうが同じ罰をうけるべきです。
そして、最高裁は違憲の判決をだしました。
その後、法改正がありその規定は削除されました。
今のネットで個人が個人を叩く風潮は極めて危険です。
それは私刑を事実上、認めることになるからです。
それを認めるのであれば、私達は無法状態を受け入れるということになります。
それでいいのですか?
あなたは、自分の生命、財産を守るために、人を殴り殺し合う世界をお望みですか?って話しなのです。
もちろん、償いは必要でしょう。
けれど、行き過ぎた社会的制裁は問題があります。
カップのキングとなんの関係があるんや?
と思ったあなた、はい。正解です(児玉清風に)
すこし、脱線しましたが。
カップのキングは、罪を憎んで人を憎まずの側面があります。
罪はその人の一側面でしかありません。
けれど、過去のそれを叩くよりも、どうしたら再発しないかに目を向けて議論して行く方が建設的でしょう。
音楽家にしろ、メンタリストにしろ、病理を解明する必要があります。
お二人にはカウンセリングを受け、自分のイラショナルビリーフを自覚し、同じことを繰り返さないような処置が必要です。
というわけで。
ま、カウンセリングってしんどいものですよ。
自分の殻を破るわけですから。ときには見たくないものを見つめる必要もあり。
人に強制されるものではないです。本来は。
けれど、それをやることで社会全体として改善が進んでいく。
そんなことを思いました。
(一応、法学部出身なので、わたし。刑法ゼミで、残虐な判例を沢山読んで、心を荒ませていました・・・10代後半と20代前半)
みなさんは、あれの件について、どのような解決策をお考えでしょうか?
昨日の蓮華さんのメッセージ
「今こそ、初心に帰る時です」
いや、もう・・・
ほんとこれ、身につまされます。。。
長く生きてるとね(700年くらい)、つい傲慢になるんですよ。
なんでも知ってる気になる・・・
素直に、それ知らないんです、教えてくださいをいつでも言える人でありたいです。
あなたが、その最初の気持ちを思い出すなら、十分に軌道修正が可能です。
そうそう、これなんです。
だから、誤りを犯した人がいて、反省しようとしているのなら、その人には、軌道修正のチャンスを与える社会であってほしい。
難しいことです・・・
私だって、妹や姪っ子、甥っ子にひどいことする人がいたら、社会的に抹殺してやろうと思うでしょう。
ただ、それをやっていいのは、本人だけ(ほんとはダメだけどさ)です。
周りがやるとそれは、ひどいことをした人と同じ土俵に立つことになります。
同価値です。
価値という言葉は法律用語で。
結果無価値、行為無価値というのは刑法の考え方でもあります。
結果無価値というのは、その行為が法益を侵害したと客観的に言えるか。
行為無価値というのは、その行為が法益を侵害したというよりかは行為自体に問題があるのではないか?
という観点から犯罪の成立を考える立場です。
前者の方がよりドライです。
が、行き過ぎた規制や処罰を防ぐためには大事な観点です。
道徳的観点を重視する立場から言えば、後者をとるでしょう。ただし、これは主観的問題を含むため、非常に危険でコントロールが難しい問題もはらみます。
自分がどの立場からものを考えて結論を出すか。
その論理整合性を大事にするのが法学という学問です。
なので、
自分は〇〇説をとりまーす!
ていいつつ、結論が違う説のものになっていたりすると、評価は不可になります。。
今は、私は心理学を勉強していて、心理学の観点から犯罪を観た犯罪心理学も一応履修したのですが、面白かったです。
矯正も更生も社会復帰もとてもむずかしいです。現実には。
けれど、人間だからこそ、チャレンジできる分野なのではないのかなと思っています。
なんて、語ってしまいました。
ここまで読んでくださった方、全体の1%くらいでしょうか。
そう、あなた、希少な人ですよ。
今度会ったら、いいものあげます。
ありがとうございました!
明日は、八重森るなさんです
おたのしみに!!
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